かつてその一角には焼却炉があった。
今も鉄臭い外観だけは、あのころのまま残っているが、
ツタはそれを地中へ押し込まんとばかりに這い、
背の高い雑草は、自然へ帰れと言いたげに、
焼却炉の扉から吐き出されるほどの勢いで、茂っていた。
かつて焼却炉であった鉄のかたまりに腰をのせ、私はそこから見えるブランコへ目をやる。
塗り替えられて久しいその乗り物は、しかし私の幼いころ使った色さえしていない。
ひときわ夕日を浴びた滑り台が、鈍いみかん色に照っている。
この住宅地もずいぶん様変わりした。
陰鬱としたカビっぽい雰囲気を放つ市営住宅の群れは取り壊され、
新しく建てられた棟々の壁は、清潔感のある赤レンガ色のタイルになった。
このタイルに夕焼けが映ると、よりいっそう茜色が深くなることに私は最近気が付いた。
桜や朝顔、ハナミズキ、そういう季節を彩るものが道々に植えられ、
何か生活に必死であるような急かす空気もやわらぎ、心なしか風通しも良くなった。
だが取り残された。この公園とこの焼却炉は。
鉄棒と、ブランコと、滑り台と、――焼却炉くらいしかない、ただの空間。
そもそもここは本当に、存在した場所なのだろうか。
私は公園だと思っていた。私はかつて彼らとも遊んだ。
小学校が終わったあと、ここは何人もの子らでいっぱいになった。
ブランコの取り合いも、ただの地面を砂場だと思って、汗をかきながら山を作ったことも、
夕方になったら、離れがたい磁石みないな気持ちで、また明日ねと約束したことも。
全部あれは、本当だったはずなのに。
誰もここへ帰ってはこなかった。また明日ね、と言葉を重ねても、
糸を切ったように、ここへ来なくなる子ばかりだった。
今やこの公園には誰も遊びに来ない。
あの時一緒に遊んだ子らが、お母さんやお父さんと呼ばれるようになっても、
誰も、ここへは来なかった。
取り残された私たち。取り残された記憶たち。
「あ、」
ふと視線を遠くへやると、新しくできた棟の、外付けの階段の上の方に、女性が立っていた。
あの人も、むかしはここで一緒に。
ふくよかになって、髪も長くなって、大くなった手は、それよりもずっと小さな手を包んでいる。
その女性が、階段の踊り場で遠くを指をさしながら、自分の子にあれこれと語っている。
おいでよ、こちらに。
また一緒に、遊ぼう。
幾度となくこれと同じような機会があった。
私はそのたびに、ここへ来てほしいと誘ったけれど、声は届かなかった。
だから今回だって無視されるだろうと、思っていた。
ほら、彼女はもう、階段を下りようとしている。
こちらへ背を向けたところで、彼女は何かを思い出したように、振り返った。
目があった気がしたのだ。
考えるよりさきに、叫んでいた。
私はここに居る! 私はここに!
彼女はなぜか、残念そうにぼんやりと微笑んで、今度こそ階段を下りて行った。
私の声はまたしても届かず。
ああまた、私は、忘れられた。
そうやって声が届かないたびに、私は自分の一部がどこか死んでいくような、
少しずつ世界からそがれているような、妙なかなしみを覚える。
ここはどこなのですか。
天に問いかけても返事はない。
天には誰も住んでいないからだ。
それでも問わずにいられない。
なぜ私はこの化石のような空間で、みなを待たねばならないのですか。
ときどき誰かが少しだけ、幼いころここで遊んだことを思い出すようである。
ふと気が付くと、公園の入り口に立っている人がいるのだが、
でもその人は夢を遊び歩くような頼りない目つきでこちらを見て、
すぐに靄の中へ消えてしまう。
思うに、そのためだけにここは化石になっている。
彼らの「いつかの故郷」として、彼女らの「なつかしい景色」として。
そこに私がいなければならない理由はないはずだ。
私だって時を刻みたい。たしかにこの公園にも四季はくる。
私の咲く季節もくる。
でも私はここから出られない、きっとここを出たら私は「私」でいられない。
あの子らのことも忘れてしまうだろう。
「私」はただの、のっぺらぼうになるだろう。
その予感は、今の空と同じく、
痛切な茜色に、私のこころを染め上げる。
毎日同じ時刻に、同じ音楽が響く。
毎日同じ夕刻を知らせるために。
子どもらを明日へと連れて行くために。
かつてその一角には焼却炉があった。
団地に住んでいた子らは、ときどき焼却炉のあったその風景を思い出す。
その焼却炉の傍らにはなぜか、いつもアジサイが咲いていたという。
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あとがきいらんやろーとは思ったけど、補足の意味で。
萩原朔太郎の『猫町』読んで、ああこういう、日常の裏側
――それもすごく薄い何かで隔たれただけの、ごく卑近な裏側――へ
行ってみたいと思ったのです。
今回は、裏側ビジョンでお届けしました。たぶん省略省略で書いたので、
わけわからん仕上がりになっているかとも思われます。
それでいいと思います、この場合。
もっと詳しく書けるようになったらいいな、この世界。
というわけで失礼!
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