「萌え禿げる」とか「全裸待機」とかまったくもう、ネット用語には愉快なものが多くてこまります楽しすぎる。
そういう万人受けする表現って、
「なんとかしてこの、このなんかこういう、どうにも言いようのない気持ちを表現しないと肉体が爆発・分裂を起こすいきおいなのに、なんていうかこう、うまくアレな感じが出てこない、あの、言葉が!!!」
という気持ちを、風呂敷で大きく包み込んでくれる、便利なことばだから広がるんだよね。
萌えて禿げそうになるとはよく言ったものである。
「怒りで髪が針のように逆立ったように感じた……」みたいな古典的な表現と似てるところがある。
要するに、抽象度が高い説明の仕方なんだよな。
物語のときも、抽象度の高い描写と、具体的な描写と、いろいろある。
そういうの、もっと効果的に使って行けたら、もっと自由になれる気がする。
という、戦略のひとつが、わたしの中にはある。
荻原さんや、上橋さんは、
感覚で、その世界にのめりこんで、物語を書くタイプらしいけど、
私もそれはあるけど、
それだけではやっぱり天才じゃないから書けない。
ある程度、こうしたらこうなって欲しい、という筋書きが一応あって、
小さいそれらの目標を、ひとつずつクリアして、
この要素を入れたら読者さんにはこう思ってもらいたいっていうのがどうしても入ってしまう。
もっと世界にのめりこんで書ける人は、あんまりそのあたりの計算というか、戦略はしないと思う。
自分も一緒になって楽しんでいるから、その世界を。
だから、策略ばかりの物語ができたとき、
どうしても、「作者が世界にどっぷりつかりながら書いた物語」に比べて、深みがまったくない、
さらっとした、浅はかな、ものに見えるし、実際そうなっている。
どうしたらいいんだ!
とりあえず今回学んだことは
「古典」が新しいということ。
感覚的なので説明はできないけど、
目から不透明の汁を垂れ流しながらいろんなもの見て得たセオリーのひとつである。
ほかにもあるけど、
自分で得たものでなきゃなにも響かないのだろうな、と思う。
あれ、結局えらそうに何を言いに来たんだという話ですよね。
ねます。
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